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2017/08/22 02:20

プリズン・ブレイクのせいで寝れてません。。

今日はドンキホーテで買い物してたら

ブログでもお馴染み井手氏にばったり出会った。

もしかしたら会うかもなと少し期待しながらレジへ進んでいたら

本当に出会ってしまった(๑≧౪≦)てへぺろ

ご飯食べたあとだったが井手氏はまだだったらしく

びっくりドンキーへ(((o(*゚▽゚*)o)))

たまたま座った席の近くに10年ぶりに会う友達に出会った。

気づいていたが、井手も知らない人だしとほっといていたけども。。。

バレた。。。(´・_・`)

まさかのFacebookのmessengerでメール

せっかくなんでパフェを人数分ご馳走させていただきました。

そんなことより井手氏が必死にジャパニーズ・プリズン・ブレイクの話をしてくるので

内容見てみるとなかなかドラマより面白いのでここで紹介しますねw

■■■明治半ばから6回も脱獄した男の話■■■

西川寅吉1854年松坂市郊外で農家の家庭に生まれた

幼い頃から無鉄砲だった寅吉は喧嘩は必ず弱い者の味方

盗んだものは皆と分け合う男気のある性格だった。

小さな頃から叔父に連れられ賭場に出入りしていた。

19歳でユキという名の娘と結婚

まもなく長男松吉が生まれる

ここから寅吉の人生は大きく変わっていく。

ある日、叔父が全身傷だらけで部屋へ入ってきた。

実はこの叔父、賭博に大負けしたあげく借金が返せず

ヤクザの親分に半殺しのめにあわされたのだ。

虫の息の叔父、寅吉の看護も虚しく

一週間後、叔父は息を引きとる。

怒り心頭に寅吉は部屋を飛び出し賭場へ乗り込んだ

寅吉は、ヤクザ相手に暴れ続けた だがその時だった。。。

振り回していた棍棒が当たり行燈を倒してしまった

↑↑行燈 ※今では電気が主流だが昔はロウソクに火をつけていたんですねー

倒してしまった行燈の火は部屋に燃え広がり

寅吉は命からがら逃げ去った。

しかしこの事件で彼は放火犯として捕まったのだ

当時火付けはもっとも重い罪で無期懲役を言い渡された。

明治15年、三重監獄に投獄された

ここが寅吉が初めて入った監獄だった。

しかし寅吉の思いは

「向こうが悪いのに、なんで俺が無期懲役なんだ」

明治17年 三重監獄 脱獄1回目。。。

ある夜、看守が居眠りをしているところ鍵を奪い監房を出た

しかし外には高い壁がそびえ立っている。

どう越えようかと考えた末

農家の肥料用に溜めてあった肥溜めの樽の中にかくれ農家が取りに来るのをじっと待ち

まんまと脱獄に成功。

シャバに出るやいなや金持ちの家に空き巣に入り、そのお金で博打をやりに行くという始末。

そしてたまたま寅吉のいた賭博が警察に踏み込まれ、またしても御用。。。

明治17年、秋田集治監へ投獄された。

2回目は囚人仲間の喧嘩に乗じて看守の目を盗み脱走!

その2日後、追ってきた警察に捕まり逮捕。

明治19年、東京小菅監獄へ投獄。

3回目は鎖で繋がれていた相方を説得し脱走!

しかし運の悪いことに相手は元人力車夫だったため、ものすごい脚力の持ち主。

二人の歩調は全く合わず刑務所から3キロの場所で逮捕!

明治20年、北海道空知集治監へ投獄。

このころ寅吉は「脱獄の神様」として囚人仲間に崇められるようになる。

また彼らのまとめ役となった。

ある日寅吉を慕う囚人が看守を羽交締めにしている隙に脱獄!

しかし懲りずに博打に熱中している時に警察に囲まれ これまた御用!

今度は北海道カラト監獄へ投獄

明治21年 脱獄5回目

冬になると凍てつくほど寒いこの地

寅吉は、世界脱獄史上、前例のない手口を編み出した。

ある日の夕方冷え込みだした監獄の作業中

寅吉は、自分の上着を脱ぎ他の囚人の上着を奪い取った

そしてその2枚の服を床に置くと寅吉は小便をかけ始めた。

両手に濡れた上着を持ち塀に向かい一歩ずつ登りだした。

小便で湿った上着が塀に凍りつき その吸着力で塀を登っていったのだ。

まさに世界初の奇想天外な脱獄手口!!

5メートルの塀を登りきりそのままジャンプし着地した瞬間

地面にあった五寸釘を踏んでしまい足の甲を突き抜けた!!!

しかし寅吉は五寸釘を突き刺したまま激痛に耐えながら14キロを逃走した!

このことから後に彼は五寸釘の寅吉と呼ばれるようになった。

足の傷の癒えた頃、資産家の家を狙い金品を強奪。

稼いだ金でまた博打中に警察に捕まる。

これでもかと仕置を受けた寅吉だが

再び脱獄への炎を燃え上がらせた。

今回は脱獄が出来ないようにと通常の2倍の鉄球を付けられた。

だが寅吉の脱獄への執念はこんなものに屈しなかった。

野外作業中、彼は畑の中から柔らかく湿った土を取り懐に忍ばせた。

次にそっと看守の鍵に湿った土を当てて、鍵の型を取った。

その型に合わせ便箋用の和紙をより合わせて型にはめていった。

しかしこれでは硬さが足りない。そこで寅吉は食事の米粒を残し根気よく練り上げた。

練った米で和紙の塗り固めた。更に盗んだナタネ油を塗り仕上げた。

見事に足枷と官房の鍵を開けてしまい、いとも簡単に6回目の脱獄に成功した。

寅吉に不可能はない。。。

シャバに出た寅吉はまたも、金持ちの家に盗みに入り

奪った金のあまりの金額に驚き、余った金を貧しい人々にばら撒いたのだ。

この噂が広まっていき、新聞が書き立てた!

この時、脱獄常習犯の寅吉は庶民のヒーローとなった。

しかし警察は面子を守るため必死の捜査で逮捕に成功!

そしてたどり着いた所が囚人の終着駅、明治30年、網走刑務所へ投獄。

6回の脱獄と窃盗の罪が加わり無期懲役を3回言い渡されていた。

そんなある日思わぬ面会者が現れた

それは20年ぶりに会う妻ユキと20才になった長男松吉だった。

松吉「おやじ、いくつになった?」

寅吉「40だ」

松吉「いつまで、こんな事しているんだ!」

松吉のこんな言葉が寅吉の心を動かした。

以後、寅吉は模範囚となった。

時は流れ大正13年

刑の特別停止命令が下され出所することができた。

寅吉70歳の秋であった。

だが外で何をすれば良いのかと迷っていた頃

かつて庶民のヒーローだった寅吉を興行師が訪ね、劇団を結成しないか?と持ちかけた。

そして彼は座長となる。その名も「五寸釘寅吉劇団」

内容は戸締りや盗難に入られない方法、獄中物語など

この劇団は思いのほか大当たり。五寸釘寅吉劇団は中国・台湾まで巡業した。

そのあまりの人気に1枚10銭の五寸釘寅吉ブロマイドを発売。

当時はこれを玄関口に貼っておけば盗難避けになると殺到した。

そんな寅吉が死の直後に残した言葉

「西に入る夕日の影のある内に罪の重荷を降ろせ旅人」と。。。

なんとドラマチックな人生。。。

網走刑務所の博物館の正門には彼の作業中の像が展示してある。

良いか悪いかは別にして、誰かのお手本となる生き方をしないと自分の存在価値などないのかもしれない。

枝のように他に伸びるのではなく是非、幹のような人生を!!

では、また明日(o・・o)/~